「事なかれ主義」も立派な処世訓?今川貞世(了俊)に学ぶと面白いかもしれない。

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こんにちは。サラリマヌス(@SALARIMANUS)です。

最近、司馬遼太郎著の『箱根の坂』という歴史小説を読んでいて、面白い人物を知りました。

桶狭間の戦いで有名な今川義元の一族の人で、「今川貞世(了俊)」という人物です。

今川貞世は、室町幕府最盛期の足利義満の時代に、当時は身分の低かったらしい今川家から出発して九州探題という上役まで勤め上げた人物です。

言うなれば大企業で、子会社の平社員から本体の役員クラスまで出世した感じでしょうか。

しかし、その今川貞世(了俊)が晩年に子孫のために残した処世訓には「事なかれ主義が大事」と書いていたのです。

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今川貞世という人物とは?

では今川貞世(了俊)とはどのような人物なのでしょうか?

ざっと情報収集をした内容を箇条書きにしてみます。

・当時の今川家は身分が低かった
・父親に従って、勉強に励む(12歳頃)
・上昇志向の父親の周旋で、二代将軍の足利義詮に仕えることに
・出世街道を進むも、足利義詮が早世
・三代将軍の足利義満にも見出され、九州探題に抜擢(45歳頃)
・九州の南朝勢力を討伐しつつ、高麗・李氏朝鮮との外交の衝を行う
・九州で功績を上げ過ぎたため、九州探題を解任、駿河に左遷される(70歳頃)
・駿河に左遷後も、謀反の疑いなどを掛けられるも、何とか一命を取り留める(75歳頃)
晩年は『難太平記』を執筆。太平記に載ってない自分の功績(愚痴?)を書き残す(90歳頃)

どうでしょうか?

幼少期から勉学に励み、巨大組織で仕事一筋で生きてきたものの、いつしか周りに疎んじられ、失意の中で晩年を過ごす。

何となく現代のサラリーマンに通じるものがあります(笑)

「事なかれ主義」を処世訓として遺す

そんな今川貞世(了俊)が晩年に執筆した『難太平記』では、子孫に向けた「事なかれ主義」の処世訓が書かれているそうです。例えば、下記の一説。

原文
「人は其身の位にしたがひて忠を致すべき事なりけり。身のほどより忠功の過たるは、かならず恨の可出来かとおもふ故也」
現代訳
「人間は分相応の働きをしていればいいのだ。出すぎた功名をたてれば人のうらみを買う」

今川貞世(了俊)の人生を踏まえて読むと、「そりゃ、そう思うよな」と同情せざるをえないです(笑)

更に面白いことに今川貞世の同時代人の多くの人が、「事なかれ主義」の処世訓を子孫に向けて遺しているそうです。

会社員としては「事なかれ主義」が最適解?

では現代日本を生きる僕たち会社員はどう生きるべきでしょうか?

正直なところ「事なかれ主義」が個人としての最適解になる人もいるんじゃないか?と思ったわけです。

というのも、現代日本の会社は成熟した組織が多く、室町時代の最盛期を生きた今川貞世(了俊)とその同時代人の境遇と似てくると思うのです。

会社の研修では「経営者目線で仕事をすべし」とよく言われますが、それは高度経済成長期で組織が拡大していた時の話だと思います。

組織の成熟期を生きる僕たちは、戦国時代の三英雄(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)や幕末の坂本龍馬などの英雄が活躍した時代背景とは異なるような気がします。

むしろ室町幕府や徳川幕府の官吏や明治政府の役人たちの方が、会社員にとっては有用な処世訓があるかもしれないと思いました。

まとめ

今川貞世(了俊)のような文武両道の大人物が「事なかれ主義」を処世訓として子孫に遺すのか・・・!という驚きから当記事を書いてみました。

自分の所属する会社の社風や上司にもよるかと思いますが、頭の片隅には入れておきたい教訓ですよね。

ちなみに司馬遼太郎著の『箱根の坂』の主人公は、戦国大名の先駆けと言われる北条早雲なのですが、時代としては室町時代の末期を舞台としています。

織田信長に代表される戦国時代のように、下剋上の気運がまだ高まってはいないものの、確実に室町幕府と各領地を治める守護の権力は弱まってきている、そんな時代です。

当記事では、現代日本は成熟した組織が多いと書きましたが、もしかしたら今後はどうなるか分かりません。

そんな時は室町末期のような過渡期を生きた人物の処世訓が役に立つのかもしれませんね!

 

最後まで読んで頂いた方、ありがとうございます。
ゆっくり急げ(アウグストゥス:初代ローマ皇帝

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